「涼宮ハルヒの消失」

「ハルヒにもう一度出会った!」そんな感慨がひとしおの劇場版でした。

ハルヒがいなくなることによってハルヒのことを考えさせる。ベタな手法ですが、エキセントリックに見えて元来ハルヒと言うのは予定調和のラノベなのです。ひっくり返せば、定石を踏まない展開はラノベでないとも言えるわけですけどw

それはともかく、これまで散々語りつくして手垢の付きまくったハルヒと言う存在を一旦綺麗に洗浄し、初めてハルヒと出会ったときのように全く新鮮に再会させてみせた展開に脱帽しました。

「やっぱ俺、ハルヒ大好き!」もっと言えば、ハルヒの世界観が好き!とも。

SFとミステリが混合した物語の構造は、一連のシリーズに慣れ親しんだものにとっては馴染みの深い世界ですが、ハルヒの魅力はそんなエキセントリックな部分だけではないことは周知。

作品に漂う空気感と言うか、その日常性だとか、意外に醒めた視点だとか・・・。実は上手く言い表せないのですが、歩く不条理とも言えるハルヒに振り回され、だけどやらされることは意外に普通のことだったりする(笑)

この「日常を非日常」に感じさせる不思議なパラドックスに心地よさを覚えていたのかも知れませんね。

この劇場版に於いてハルヒを新鮮に蘇らせてくれたのは、主人公キョンによる「自己批判」だったのではないかと考えます。それによって「何かが」ニュートラルに戻され、ハルヒを新しい存在に仕立て直してくれた。

「お帰りハルヒ!」と言いたくなるところをこらえ、「初めまして、ハルヒ!」と声を掛けたくなってしまう。

そう。私は「もう一度ハルヒと出会った」のです。

常々、主人公のキョンと言うのは、私たち視聴者の立場に近い存在ではないかと感じていました。作品の主人公でありながら、どこか作品を客観的な立場から傍観しているような、そんな雰囲気が漂っていると感じていたのです。

だからこそ彼の立場は視聴者に近く、私は彼に自分自身を写して見ることが出来たのです。逆もまたしかり、私はキョンと同じくハルヒに振り回される被害者であったとも言えます。

つまりキョンへ向けられた課題は、そのまま私へ向けられた疑問でもあったと。

「お前ら、ハルヒをどう思う?」と言った具合にね。

作品的な作りではどうだったかと言えば、元よりハルヒ作品に見られる世界観がそうであることから、素早いカット割りやスピーディーな展開で圧倒することもなく、いわゆるアニメっぽいと言うよりは、より「映画」に近い感覚がると言えましょうか。

タイムトラベルの連続が時系列を分断しますが(笑)、ひとつひとつのシーンでは定点カメラで時間経過を長く捉えると言ったことをしています。

アニメの手法としては間違っているのかも知れませんが、ことハルヒに関してはこれが王道なのです。この「まったり感」がないとハルヒとは言えない。

いや。この停滞した場面は、前後に挟まれるシーンの関連によっては、むしろ緊張感を生み出すカットにも成り得る。

この辺りの多様性と言うか可変性と言うかが多用な解釈を生み、本当の意味での文学性を与え、いつまでも飽きさせない要素となっているのかも知れませんね。

さて、ハルヒを知る者としては以上のような印象を受けたわけですが、ハルヒを知らない人には一体どう映るのかは保証の限りではありません。正直なところ、ハルヒを知らない人には厳しい内容なのではないかと、個人的には邪推していたのですが・・・。

しかし某辛口映画批評のサイトでは、筆者がハルヒ未見にも関わらず高い評価を得ていました。もしかしたら、ハルヒ初体験の人の方が偏見なしに楽しめるのかも。

ハルヒを見ていた私が一番ぐっと来た場面は、やはり後半部分。でもここで得られるカタルシスと言ったら、ハルヒを知っていればこそ得られる最高の感動がここにはあったのです。

「京アニ」凄いと思いました。全く、素晴らしい構造をしてやがる!と。

そう言えば、長門さんには一切触れて来てませんでしたね。文字通り作品のキーパーソンとなる人物だけに、ネタバレに直結してしまう危険を考慮し、あえて除外した次第。でも映画を観れば一目なので、そこんとこはご自分の目で確かめられては如何かと。

ただひとつ、「ハルヒの消失」は「長門の憂鬱」だった、と言い換えることも出来ると示唆しておくに留めます。



@ムハンホウちぇっそ@
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タグ : 涼宮ハルヒの消失 涼宮ハルヒの憂鬱

2010/02/24 23:59 | 映画/DVDCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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