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「星合の空 ‐ほしあいのそら‐」第7話 第8話

この生き辛さは。。


月ノ瀬は親から部活を反対されていた。将来なんの役にも立たないソフトテニスなどにかかずらってないで、受験に勤しみ良い大学に受かることを考えるべきだと。典型的なモンスターペアレンツ。ソフトテニス部は1週間の活動休止を余儀なくされた。

久方ぶりの感想になりますが、すんません。ほんとこの作品では言いたいことがたくさんあるのでこまめに書きたいのですがっ・・・!

前回のお話から言うと、あの練習試合はとっても青春しててよかったですね。あと一歩及ばず勝利には手が届きませんでしたが、それでも強豪校を簡単には勝たせぬ奮闘を見せた。

相手が油断しただけか?いやそれだけではなく、その油断を突いた戦略がものを言ったし、それを実行できるだけの力が桂木たちソフトテニス部にはあったという証明であります。

始めは敵対し合っていた相手校のエースである王寺(おうじ)アラシとひょんなことから意気投合する(なぜ桂木たちのBBQに紛れこんだ!?)というサプライズも楽しw

高校生なんてこれくらいバカな方がいい!

さて今週は月ノ瀬の家庭事情の他にもイベントが多発。他人の家庭の教育方針に口を出す筋合いはないのですが、彼の家の両親の言い方にそもそも元も子もないものは感じるのです。

ですが、親の気持ちを考えれば分からなくもない。部活やってるヒマがあったら勉強しろと。

でもこれ、必ずしも勉強が将来を約束するものであるとも言えないわけで。そこら辺は経験則で親も分かっているはずなのですが、ついつい言ってしまうのは少なくとも将来に「保険」を賭けたいわけだからなのだと思います。

その点で言えば第8話において意外な性癖をカミングアウトした飛鳥悠汰にも当てはまるでしょうか。

強化試合をすることになり、相手校の偵察へ向かうため「女装」することになった飛鳥と桂木(ルックス的にイケるだろうと夏南子がチョイス

このとき飛鳥がいわゆるジェンダーであると告白したのですね。

オトコの娘キター!と歓喜したワタクシがいたのは差し置いておくとして・・・(この作品ではあり得ると思ってたのでホントウレシイ!@心の声漏れとるっ

この告白を聞いた桂木は「誰しも生きることに違和感を覚えることってあるよね」と答えたのですね。

ここで桂木が言った「生きることの違和感」とは、ただジェンダーのことだけではなく、生きることそのものに対しての違和感でありました。

それってとても範囲が広く一言では言い表せないものでありますが、性別に関して言えば自分が男であるか女であるか。そこにジレンマを覚えるという感情を踏まえた上で尚(ここ大事)、「男か女かであることを決めなければいけない違和感」という壮大な言葉にちょっと目からウロコが落ちた気分にさせられたのであります!

確かに。現代社会では自らのアイデンティティが大事であると言えます。しかしそこに性別の「雌雄」まで含まれているということに今まで気付かなかったワタクシはまだまだ人生の初心者であったと言わざるを得ない。

この視点は私になかったので非常に斬新。しかし完璧に的を射ていると言えるでしょうか。

「あんたは男と女はどっちなの?」と聞いた時点で男女差別が発生している。もちろんそこに他意はなくとも、ですよ!?

「どっちか」って結局どっちかにプライオリティを置いているわけで、「性別なんてマジ関係ねぇ」ってレベルに達してないんですよね。

これもう凄いなと。すっかり語彙力失くしてますが、この桂木の視点に立って初めて男女平等の思想が成立するものではないかと思った次第です。

飛鳥自身もまた、自分がどちらの性に属するか迷っていたり、しかし実際に女装してみると必ずしも自分が女性になりたいと思っているわけではないと気付いたり。

思春期の男の子ですし、自分がまだどちらか分かってないという事情はあるのかも知れません。美しいものに憧れる気持ち。女性が美しいから女性になりたいという単なる憧れかも知れない。

それを決めるには・・・再三言うように現代社会においてはそれを決定しなければなりませんが、高校生というシチュエーションを考えればそれはまだ早い。

この状況に際して桂木が飛鳥にかけてやった言葉は実に「大人」であったと。

しかしこの「大人」という言葉。文字通りの意味と捉えるなら経験を積んだ成熟した人間と定義することが出来ましょうが、実際はまだまだ「ガキ」の大人も多い。

桂木がなぜこのように「大人びて」いるのか。私に言わせれば桂木だったまだまだ子供。人生のイロハも知らぬひよっこに過ぎないと思います。

ただ桂木は誰よりも「気づく」子供である気がします。あるいは「気づいてしまった」子供と言うべきか。コリン・ウィルソンの言うところの「アウトサイダー」がこれに当たる。

コリン・ウィルソンが定義する「アウトサイダー」とは道から外れた者を指すのではなく、「真実に気づいてしまった者」を指します。

何かちょっと「見えちゃった」それが桂木であると言えます。他に例を上げるならニーチェが提唱した「ツァラトゥストラ」がそれに当たります。

現実に直面し世界の真実が見えてしまった超人は全てに絶望し・・・しかしその絶望の中から希望を見出そうとするのがツァラトゥストラなのですね。

まあなんとも哲学的なお話になって来ましたが私にそれを深堀りできるほどの博識はありませんでのこれ以上は割愛しますが・・・

桂木とは他よりちょっとだけ世界が「よく見える子」でしかなく、でもそれだけでかなり「大人」に近づいている存在であると言えます。それだけ大人と子供の違いはわずか。

ただ大人には人生を生きて来た分相応の「経験」があるのが違いと言えましょう。どれほど貧相な経験であっても生きていればそれなりの「答え」は誰しも持っているもの・・・だと思いたいけどそうでない大人もいっぱいいるな、おい!(誰に対して怒っている?

まあそれはともかく。

そんな飛鳥の前にも息子の「娘化」に反対する親が登場(言い方っ

これってしかし勉強させようとする親とベクトルは同じですよね。息子には男らしく生きて欲しい。娘には女らしく・・・

結局は親の敷いたレールにしか過ぎない。勉強させることも男か女か決めることも、つまるところ「生き方を決める」ための強制なのですよね。

仮に私が親だったとして、そのように反抗する子供を持ったらどう振る舞うのか。実のところ、私も子供に対しては「立ち塞がろう」と考えています。ただしそれはあくまで子供の覚悟を確認するまでの時間稼ぎとして。

幸い私は親に自分の進路を否定されたことはないのですが、それが故に自分の浅はかさに打ちひしがれた経験があるので()、あのとき親に反対されてもっと強い決意で自分の夢に向かうことが出来たら実現出来たのではないか?と思うことがあるからです。

かといって今が幸せでないのか?と問われれば、とりあえずここまで生きてこられてマシだったなと思えるわけで。まあ人間なんて現金なものです()

正直言って難しい問題だと思います。幸せかどうかなんて結果論でしかなく、誰にも正しい未来なんて分かるはずがない。

それは確立の問題。誰しも成功論に自分の子供を当てはめたいと考える。それ自体は否定しません。

ただし人類ひいては生物が進化において成功して来た背景には「多様性」にこそあったわけで、昨今における異様なまでの「中庸」さ、こと日本における盲目的なまでの「思考停止」状態は社会ひいては国の存続すら危ぶむべき深刻さを呈している気がならないのは単なる取り越し苦労でありましょうか。

少年少女の健全な青春ドラマを描きつつ、現代社会の闇を抉るような作風に戦慄を覚えるワタクシがおります。

あ。それと忘れてならない!今回の「女装潜入捜査」に於いて(言葉の響きが得も言われぬフェチシズムを呼ぶ・・・だからその発言っ

敵校のイケメン男子を「覗き見」する他校の女子どもを退けるために囮となった夏南子の捨て身には、今期アニメの最優秀MVPを与えたいと思います!

「このブス!」と罵られながらメスどもを現場から排除。桂木と飛鳥がしっかり観戦ポイントをキープして情報ゲット出来ました!

絵を描くのが好きで、でもそれを親に否定されてた夏南子。すっかり腐ってた彼女の心を男子ソフトテニス部が動かした展開に胸熱っ!


@ムハンホウちぇっそ@

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タグ : 星合の空‐ほしあいのそら‐

2019/12/03 23:04 | アニメ感想COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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