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「少女終末旅行」第12話 最終回

【「仲間」】

終わるまでは終わらない


潜水艦の設備を使ってヌコが見せてくれたのは、カナザワから譲り受けたカメラの画像だった。

そこに映し出されるのはチトとユーリが撮ったものだけではない。地球が歩んで来た歴史がそこにあった。

まだ人間がたくさんいて、そこで営まれる暮らしを見た2人は、現在の自分たちしかいない世界に対して一抹の寂しさを覚える。

どうして人がいなくなったのか。カメラの映像にはそれも捉えられていたのであった。

それはおじいさんとの別れを思い起こさせた・・・

ヌコのデカいヤツに出会ったユーリは、それに飲み込まれてしまった。慌てて救出に向かうチト。

このままユーリが食べられ、自分だけになったら。

ヌコのデカいのにチトが追いついたとき、ユーリが無事であることが確認できた。

デカいのは言った。「生きている人間は食べない」と。

デカいのが言うには、この世界にある機械を食べてエネルギーとしていると。高エネルギーを摂取して活動しているらしい。

その中には兵器も含まれる。

それらを全て処理したとき、地球は眠りにつくだろうと言う。

それは地球の終わりを示していた。

この辺り一帯はあらかた食べ尽くしたと言う。本来、仲間であるヌコを引き渡すように言うデカいの。

ヌコとはここでお別れ。またチトとユーリ、2人で歩んで行く。

「君がいればそれでいい」

2人は同じことを言った。

この終わり行く世界で2人きり。世界が終ろうとも、自分たちは終わらない。

自分たちが終わるまでは。

<総評>

この寂寞とした世界。やはりここは終わり行く世界だったようです。

地球の長いエピローグ。それがこの物語であったと言えます。カナザワが寄越したカメラに残された画像の数々。あれこそが人類の総集編だったのでしょうね。

どこまで行っても救いのない状況は変わらない。しかしここには確かに人類を慈しむ気持ちがあったように思います。

チトとユーリたちはそんな人類が辿った奇跡を、小さな一歩で、しかし確かに自分たちの足で歩んで来たのだと言える。

人類が遺したものを、あれはなんだろう?これはなんだろう?と言って見聞して来たこと。それはある種の巡礼に近いものだったかも知れない。

もしかしたら、2人がそんな人類を供養するために世界を歩き回っているのだとしたら。

退廃的なSFストーリーから始まった物語は、ある意味で次第に宗教色を帯びて行き、最後は非常に幻想的なシーンで幕を下ろしました。

ここにあったのは果たして人間賛歌であったろうか。それとも滅びゆく世界の鎮魂歌だったのか。

汚染された地球、あるいは衰退した人類を救済する物語と言って思い起こすのは、やはり「風の谷のナウシカ」を筆頭にあげるべきでしょうか。

そして「少女終末旅行」もまた、そんなナウシカに対してのオマージュを感じるような作風だったように思います。

兵器を食べるあの生物。あれが地球外のものなのか、それとも突然変異によって生まれたものなのか。もしそうなら大自然が自浄作用する生物を生み出したことになるでしょうか。

それは分からないけれども、地上を浄化すると言ったディテールは確かにナウシカのそれに似たものが感じられたのは確かです。

デカいのの声を島本須美さんが演じていたのが何よりそれを物語っていたかと(笑)まあこのキャスティングにどのような意図があったかは計りかねますが、恐らく狙ったのではないかと言う気はするw

作風としてはまたJGバラードのような世紀末感漂うものを感じました。滅びゆく世界、だからこそ儚さがより際立つ。むしろそれは美しいとさえ思える世界となる。

衰退と美の落差こそが物語のコントラストを深めて行ったのです。

素晴らしき作品。素晴らしく考えさせらた物語。座右のアニメのひとつに数えたいと思います。

終末を歩く少女たち。その穢れなき感性でもって、これから先も世界のあらゆることを発見して行くことでしょう。

このような旅をさせてくれたことを2人に感謝しなくてはなりません。

お元気で。そしてお達者で!


@ムハンホウちぇっそ@

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タグ : 少女終末旅行

2017/12/26 21:45 | アニメ感想COMMENT(1)TRACKBACK(0)  

コメント

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いい作品でしたね!絶望的なようでいて胸が温かくなるような気もしました。

あと、エンドロールでの「エリンギ」に笑いましたw

No:768 2017/12/28 11:18 | あさい #s6nkdhXk URL [ 編集 ]

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