「舟を編む」第11話 最終回

【灯】
大海原へ梶を取る

様々な紆余曲折を経て、ついに「大渡海」が完成。

しかしそこに松本先生の姿は・・・

辞書編集部の面々の心には万感の思いがあったと同時に、「間に合わなかった」という悔しさがあったことは想像に難くありません。

あと少し。あと少しだけ時間が許したならと、その運命を呪う気持ちすわ湧いたかも知れない。

だけどこの辞書に松本先生の想いは確かに込められている。それが分かっているだけで、少し救われたのではないでしょうか。

「感謝という以上の言葉がないか、あの世で用例採集するつもりです」

自信を持って大海原へ送り出す辞書。それは充実した日々が示している。

荒木さんと出会い、そして馬締くんと出会えたこと。それがまた私を辞書道へを誘ってくれた・・・

松本先生の最期の手紙にはそうした想いが綴られておりました。

そして馬締は更なる大海へと漕ぎ出すべく、これからも舟を編み続けると決意するのでありました。


<総評>
私も「言葉」が大好きです。もしかしたら「人間」そのものよりも好きかも知れない。

人とは移ろいやすいもの。あてにならず、そのときの気分によって態度が変わる信用のおけないものであると言えます。

一方で「言葉」には明確な意味がある。「言葉」とはあるひとつの事象について共通の認識を与えるものだからです。

人は言葉によって思考することが可能になったと言えるでしょう。逆に言えば、言葉を持ったからこそ人は思考することが出来るようになったと言える。

「言葉」とはいわば、人と人とを繋ぐインターフェースのようなもの。電話で「何色?」と訊かれて、「赤」と答えれば、たとえ実物を見ていなくてもその色や姿を思い描くことが出来ます。

それによってコミュニケーションが成り立っているわけですね。

しかし逆に言葉の持つ意味やイメージを利用して、その裏をかいて人を騙すことだって出来る。つまり「言葉」もまた信用に足らないものではないか?そうお思いになるかも知れない。

しかし「騙す」ことを知らなければ、誰かを騙すことは出来ないのです。

つまり何が言いたいかというと「言葉」とはある意味「人そのもの」であるということ。

実は「言葉」が意味する範囲からは人はその行動を大きく逸脱することがないもかも知れない。人間の行動における大抵のことは言葉で表現可能なのですよね。

裏を返せば、だから人は「言葉」に縛られていると言えるでしょう。しかし物事の順序を考えるなら、人の行動の数だけ言葉が当てられてきたとも推測できる。卵が先か鶏が先かの議論になるでしょうが、「言葉」と「人」はかなり多くの面で重なり合っていると思うのです。

作中で松本先生がおっしゃっていました。海外では公的資金を投入して辞書が編纂されてきた。しかし日本は民間で編纂されたものしかない。

公的資金の投入に際して問題となるのは、言論の規制が入るかも知れないということ。都合の悪い言葉が排除されるということは、つまりそれにまつわる「文化」が排除されるのと同じであると言えます。

片や民間となれば、時代や世相を反映して言葉が多種多様になる。例えそれが宣伝目的の流行語であったとしても。

言葉は時代と共にその意味や解釈を変化させて行くものである。言葉は常に人と共にあり、それが生活や文化と乖離してしまってはいけないのではないか。

人を好きになることは、言葉を好きになるのと同じなのかも知れない。ニュースであったり出会いであったり、人は常に新しい発見をもたらしてくれる存在であります。そしてそれはいつも「言葉」によってもたらされるもののような気がするのです。

「あいつ、チョーやべーんだぜ」「え?何がっ!?」

こんなのでも言葉。新たな発見を伝えるツールとなるのです(笑)

辞書編集に賭ける熱い想い。そしてそれはまた出会いと友情の物語でもありました。

新旧世代によって継承されるもの。あるいは同世代同志の絆によって紡がれる横の繋がり。

これらが縦糸と横糸となって編まれることで完成した辞書「大渡海」。

それは時代を越えて人々を導く「灯」となる。そんなことを願ってこの感想を終えたいと思います。

深い示唆に富んだ素敵な物語でありました!


@ムハンホウちぇっそ@
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タグ : 舟を編む

2016/12/23 15:32 | アニメ感想COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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