「父と子」ツルゲーネフ


父と子の衝突は、時代によってはそのまま歴史の変遷となる。変動期のロシアを舞台に、新思想の芽生えを描いた長編。
久方ぶりに帰ってきた息子はニヒリストになっていた。新思想を携えて帰還した息子の名はバザーロフと言う。彼は親のあらゆるものを否定する。しかしバザーロフが否定するのは、彼自身の親だけではない、旧思想を持ったおよそあらゆる親に対して「否」を突きつけるのである。

ツルゲーネフは父と子と言う形でもって、新思想と旧思想の対立する図式を示して見せた。新思想の親は旧思想にある。こうした世代間の対立はテーマとして非常に分かりやすい構造を持っている。古き考えを持った者は新しきを認めず、逆に新しき者は古き者に反発する。水と油のような関係に例えられることが常套であるからだ。

しかし読んでいる最中に私はこの構図に違和感を感じた。旧思想を持った親たちに今ひとつ覇気がないのだ。彼らはむしろ子供たちを恐れ、うろたえているように見える。ここには本来の古きロシアに見らるはずの父性の力強さが感じられないのだ。

それもそのはず。作品の解説によれば、この時代の「親たち」(「親たち」とするのは、先の定義を受けて「およそあらゆる親」たる旧思想全体を指すこととする)は西欧の教養を身につけており、更に古い時代のロシア人よりも進歩的な人たちであった。つまり彼らもかつては「新思想」を抱いた革新者だったと言う経緯がこれに起因している。

旧思想の親たちはその役割を既に終えており、早くも新世代の台頭を余儀なくされていることから、彼らは自分たちの息子に強く当たることが出来ないでいるのだ。言って見れば、そこに自分たちのしてきたことの結果を見ているせいかも知れない。

変動期のロシアに於ける時代の流れの早さを実感する話だが、彼らの働きがあったからこそ、次世代の息子であるバザーロフらが誕生したのだとすれば、やはり彼らこそバザーロフ世代の直接の親であることは言えると思う。

古い世代は、今や新世代に時代を明け渡すことしかその役割は残っていない。それがこの時代の親たちに見られる頼りない様子を物語っている。

また私が懸念を覚えたのはバザーロフの扱いに関してである。彼はバイタリティに溢れ、何事にもストイックに取り組み、例外を許さないタイプの若者として描かれている。特に最初は。しかしそれが次第に曖昧になってくる。

バザーロフと直接対決した親たちのひとりは、唯一、彼の親友であるアルカーヂイの伯父に当たるパーヴェル・ペトローヴィッチ・キルサーノフだけである。2人は決闘するのだが、このときバザーロフはあえて致命傷を避けてパーヴェルを撃った。これは何を意味するのか。パーヴェルらに代表される旧思想を許したと言うのか、それとも旧思想など取るに足らんととっくに見限っていたことによるのか。

肝心な場面で見せたバザーロフの弱気な態度は、結局彼の言っていることは机上の空論でしかなく、何の具体性もない口先だけのロジックに過ぎないことを示しているように感じられる。それと加えて、最後に彼を見まう悲劇がその傾向を更に助長してしまう。

このツルゲーネフの長編はその革新的な内容から時代にセンセーションを巻き起こした。これは旧思想派が騒いだせいである。このことは理解できる。

しかし同時に新思想派からも反発を受けることになった。それはこのバザーロフのふがいなさとその結末が、早くも新思想の終末と受け取られてしまったせいなのである。生まれながらにして死んだも同然の新思想のなんと退廃的なことよ。

それは読んでいて私も感じたことである。では何故このような矛盾が生じてしまったのか。それは再びあとがきの解説によるが、バザーロフの思想があまりに急進過ぎて、作者のツルゲーネフ自身がその全容を掴めていなかったことによるらしいのだ。その情報の少なさがこのような曖昧さを生んでしまっていると。

しかしながら、だからと言ってこの長編が読むに値しないかと言えばそんなことはない。バザーロフの姿は、変動期のロシアにおいて実際にあり得たかも知れない若者のひとりなのだ。新時代へ向けて脱却しようともがきながらも、旧世代への郷愁が同時に混在する。厳格である前に人間らしくあろうと苦悶する若者の姿をここに見ることが出来る。

私が思うに、バザーロフの最期には救いがあったように見える。それは旧世代への容認である。新世代が旧世代を容認するなど、立場が逆ではないかと思われるだろうが、バザーロフは自分の父である親たちを許すことによって、その息子である自分自身をも許していたのではないだろうか。

バザーロフは、その最期を迎えたことによって新旧を超越した存在になったのだと思う。彼の墓標の上に咲く花は、これから先も訪れる新旧交代の物語を見守ってゆくことになるのだろう。その全てに許しを与えながら。

感動的なまでに美しくつづられるラストは、ロシア語で長編を示す「ロマン」が「浪漫」に変わったことを示しているようだ。



とまあ、まじめな文学的な考証はこれくらいにして、ここからはいささかくだけた調子で、別の切り口からこの長編の印象を語ってみたいと思います。

少し人物相関図を示させてもらうと、バザーロフの親友にアルカーヂイがおります。アルカーヂイの父はニコライと言い、その兄に当たるのがバザーロフと決闘したパーヴェルと言うことになります。

バザーロフのことは先に述べたように、ストイックなニヒリストとして描かれているわけですが、しかしときどき人間らしい一面を見せるのですね。これがツンデレに見えて可愛らしい。

そしてアルカーヂイはと言うと、バザーロフと同様に新思想に系統してはいるけれど、まだ旧ロシア的な良心を残しており、それが少し野暮ったい印象を与える純朴な青年といった印象。

彼ら2人の間に、アルカーヂイの遠縁に当たるのかな?アンナ・セルゲイエヴナと言う貴婦人が割り込んできて「オレと女とどっちを取るんだよ」的な場面が訪れる。なんだかちょっとわくわくしてしまうのですが、あくまで脳内変換の範囲で内容的にはかなり補完しています。

はい。ここまで読んでお分かりですね。この長編はBL的に美味しい要素がたくさん見受けられると言うこと。

もちろんバザーロフもアルカーヂイもノンケであり、お互い異性の想い人が出来るわけですが、ときどき親友のことを心配する場面があって、それがなかなか萌えるシチュエーションになっているんですね。

女は好きだけど、親友のことも気になる。この2人のやり取りが、恋人同士の痴話喧嘩みたいに見えるときがあって楽しい。

そしてこの作品の中でとくに白眉と言えるのがパーヴェルの存在。彼はこの時代に於いては既に初老と言ってもよい年齢なのですが、白髪の美男子として描かれているのですね。作中の表現としては「かつて美男子だった面影を残す」と言った風で、イケメンだったことをほのめかす感じが更なるセクシーな印象を与えていて好ましい。

バザーロフとは対立する立場を取っており、彼こそバザーロフが戦わなければ行けない「旧思想」の代表者みたいな位置関係にあります。そんな彼がバザーロフと激しい議論を交わす場面がある。

普段は凛とした佇まいを見せ、ときに幽玄な雰囲気すら醸しているパーヴェルですが、バザーロフに論破されそうになって小物臭が漂い始めると、一気にお茶目なおじいちゃんと言った印象になってとても愛しく感じられる。必死に威厳を保とうとするけど、それがほころびを見せたときがギャップ萌えに繋がるのですね。

パーヴェルには弟がいて、それがニコライ。アルカーヂイのお父さんでもあります。当然ニコライも既に初老に手が掛かろうかと言う年齢なのですが、彼は登場する父性の中では一番ヘタレなのですよね。それをたしなめる兄のパーヴェル。この兄弟のやり取りがまた近親相姦を想起させてきゅんきゅんしてしまうのです。

初老兄弟に対する萌えを感じさせると言うレベルの高い描写。しかも2人とも古きロシア男子らしいく顔中ヒゲもじゃですよ。実はツルゲーネフにもその気があったんじゃないかと勘ぐらせるに充分のメロドラマとなっているのですね。

これ誰か二次創作で書いてくれないかな。同人作品のネタとして絶好のシチュエーションだと思うのですけどね。そんな期待を寄せつつ、名作であることに変わりはないので、堅苦しく考えずに、この下世話な感想が興味を持ってもらうきっかけになれば幸いだと思います。とにかくラストシーンが美しい。

それにしてもロシアの古典文学って意外とセクシーなのが多いかも知れない。ドストエフスキーなんて全部ヤンデレだし。

まあそれはまた別のお話で。それではお粗末さまでした。


@ちぇっそ@
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2013/01/28 12:53 | 読書感想COMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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