レッド・オレッペリン

朝のニュースで「雨とか降るかも」(そんな軽いノリの天気予報があるか)と言っていたので、折りたたみ傘を持ち出そうと思ったていたのだけれど「出かけるぞ!」と立ち上がった瞬間に忘れてしまい、仕事の帰りは見事雨に降られてしまいました。

記憶がブラストビートの1打と1打の間くらいしか続かない(ショートカットなんだな

その仕事帰り、西船橋の駅でDxIxEx(ダャイ)やCxPxSx他のドラムであるY野氏にばったり。

「おぅ!」、「おうっ!?」と挨拶までショートカットで、私が降りる駅までしゃべりながら帰りました。

機材を抱えた氏は、これから小岩でライヴライヴだそう。今日は見に行かないけどがんばってね。

市川/浦安グラインドなひととき。


話題変わって。


最近やっと「天国への階段」の歌いかたが分かって来ました。ご存知のその通り、レッド・ツェッペリンによる名曲中の名曲ですね。

実はレコードやCDのように、ロバート・プラントみたくねちっこいハイトーンで歌おうとするとしょぼくなっちゃうんです。

ではどうすれば良いかと言うと、ロバート・プラントは無視して、まったく正反対の歌いかたを目指すのが正解です。

人によって違うとは思うのですが、私の場合なら、秋山雅史のようなオペラチックなテノールで歌うと上手く行くのです。ってか、行ったのです。

まず「声が出る」ことが重要で、だから決してマネなどできない(そっくりさんを目指すなら別だが)プラントの歌唱法をなぞろうとするよりも、自分の歌いやすい声帯域を駆使した方が良い。もっともどうしてもプラントの声のイメージが強すぎて、自分のフィールドへ持って来るまでが難しくはあるのですが。

そこら辺は個人で工夫すれば良いと思います。例えば「岡本真夜の曲をジョン・ウェットン風に歌ってみる」とか(これは実際私が得意とする)

こうやって既成概念を壊してみることが大事。ひとつの曲をいろんな人のイメージで歌ってみると、新たな発見が見つかると思いますよ。

しかしこうして秋山雅史のように歌ってみた私は、ここで驚くべき事実に直面しました。

むしろ秋山雅史風に歌った方が「ロバート・プラント風に聞こえる」ではありませんか!(自分の中の範囲でな

そもそも意外と声が出て、歌っていて「楽しい」のです。それまでツェッペリンの曲って歌っててあまり楽しくなかった。これはもちろんプラントの歌い方があまりに独特なので声を出すのが辛かったためです。

今まで楽しかったのは「ベイビー・アイム・ゴナ・リーヴユー」とか、「シンス・アイヴ・ビーン・ラヴィング・ユー」とか「オールマイ・ラヴ」とかぐらい(バラードかブルースしかねぇじゃん

それはともかく。

何故、ツェッペリンらしくない歌い方をして、尚ツェッペリンぽくなるのか?このことを私なりに分析してみました。

その結論は、「ヴォーカルメロディ、そして歌詞のリズムが既に『天国への階段』であるから」ではないかと!

つまりは、「メロディ」「グルーヴ」「歌詞」の全てがどれも分離することなく完全に結びついて「完成されている」からこそ、例え歌う人(声)が違ってたとしても曲の世界観を壊すことなく、曲の世界を再現できるのではないかと思うのです。

言い方を変えれば、「シェイクスピアはボリショイ劇場がやっても、どっかの学芸会でやっても、何をどうやったってシェイクスピアになるんだよ!」くらいな乱暴な理屈ですけど。

自分の持ち味を出したとしても、歌詞のリズムがもはや「天国への階段」にしかならないようになっているんだと思います。有無を言わさず。

これって理想的じゃないですか。ここで改めてジミー・ペイジってスゲェな!と実感することになるかと。

ロバート・プラントのカリスマ性も凄いんだけど、それを完全にコントロールして「自分の世界」を作り上げていたのは、実はジミーだったと言えないでしょうか。

ツェッペリンを聴いてもう20年近くになるけど、今やっと気がついた。

音楽はやっぱ「続ける」もんだよね。演奏し続ける、または聴き続けることが大切なんだと思いました。

何十年も聴いてきた音楽にもう発見なんてないと思ってたけどびびった!


【既成概念を壊すんだ!】

(日本語になるとリズムが違っちゃうけどね)


@ちぇっそ@
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2010/05/19 20:01 | エッセイ的なものCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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