都議会の阿呆どもへ告ぐ

都議会がまたアホなことへ審議を費やした。例の「非実在青少年」の項目である。この度は具体例を挙げてその判断基準を表明したわけだが、これが甚だ稚拙に過ぎて困る。

いくつかの例を挙げるなら、「ワカメちゃんのパンチラ」、「しずかちゃんの入浴」、「エヴァの綾波、アスカのヌード」はOKと言う全く要領を得ない結果となった。

ワカメちゃんのパンチラがOKなら、(話の展開で)二週間後にワカメちゃんが急成長して高校生になったらそのときのパンチラはOKなのか?とか、しずかちゃんの入浴がOKと言うなら、いつものび太くんが窓ガラスをぶち破ってしずかちゃんが浸かっている浴槽に突っ込んでくるオチが待っているのだが、そのときのび太くんが裸のしずかちゃんに覆いかぶさるようになってしまう状況は「不純な行為」を想像させるものなのではないか?とか、綾波レイのヌードがOKなら人気投票を取って国民の過半数を得れば涼宮ハルヒがヌードになってもOKなのか?それとも興行収入が初日で1億円を突破するのがクリアラインなのか?などなど。

これは単に屁理屈を言って茶化しているのではない!このように判例を挙げていちいち突っ込みどころのあるお粗末な法案が可決したら、それこそ日本が「経済的(あるいは世界的)に沈没する」であろうことを訴えているのだ!

昨今の鳩山政権の馬鹿さ加減にもほとほと呆れる次第で、世界中から舐められまくっている状況に国民が納得していると思っているのだろうか。首相から「俺なりにがんばっているんだ」と言われたとしても、お前は日本国民全ての運命を背負っているんだ、とまでは言わないが、少なくとも世界が「日本人」を判断する上での指標にくらいはなっているのだと認識してもらいたい。

お前のイメージがそのまま我々国民のイメージとなるだから、お前は自分の能力以上に踏ん張らなければならんのだ、それを肝に命じて世界へ出て行け!と苦言を呈しておきたい。これは決して言い過ぎではない。日本国民の死活問題がお前の一挙一動に掛かっているのだと心してもらいたいのだ。

話が世界規模に脱線したが、都議会のやっていることもまた変わりなく、自らの馬鹿さ加減を露呈しているに過ぎない。いわゆる「判断基準」の具体例を挙げたところで問題解決の糸口にすらならないことに気が付くべき。

いまや日本の何百たるアニメ作品、何万時間にも及ぶ放送・上映時間を全てチェックし、それらのうちどれがOKでどれがNGかを全て判断するつもりなのか。都がこのようにして具体例を挙げたと言うことは、それをやる心積もりであると見てとることができる。

それをやるつもりなんだと言う前提に私は話を続けるが、そうでなければ都議会が示し提案した事項は詐欺行為と同じである!その検閲をやる気がないのなら「都議会は詐欺の集団」と揶揄されても文句は言えまい!

しかし検閲など、実際にそのようなことが可能なのか?時間と労力、人員を導入して検索することは可能であろう。しかしその費用を一体誰が支払うと言うのであろうか。それはもちろん我々国民だ!もっとも現段階では都民限定と言うことになるが。

それをやって一体どれだけの意義があると言うのだろうか。きっと「それは無意味だ!」と国民のほとんどが答えるのではなかろうか。だったら「この法案は無意味だ!」と結論付けることも可能になる。

このたび都がやっていることは、いつも遅刻してしまう小学生の悩みに対し、「だったら朝6時に起きればいいじゃない」と言うのと同じ。しかし「6時に起きれないから困っている」のであって、「どうやったら6時に起きれるでしょうか?」と言うことを議論しているのに、これでは問題解決の道しるべにもならない。

具体例を挙げるなどの幼稚な対応はやめて欲しい。曖昧な基準は決して「基準」とはなりえない。私が再三述べているように、基準を掲げるなら例え大反発を喰らってでも「18歳以下はメディアで放送・報道してはダメ!」とか、「何年以降に制作されたアニメ作品はテレビ放送禁止!」と言った、完全に基準が明らかなものでなければならないと言うこと。それを納得させるのは、後付でもなんでも良いから理路整然とした理屈と説明なのだよ!

またそれとは別の問題もあって「そんな馬鹿な法案なんてどうせ可決しないからほっとけばいいよ」とする議員がいることについて。私はそんな風に無責任に傍観する連中に対して「お前らも同罪だ!」と言ってやりたい。

いいように言われるだけで何の反論の声も上がらないのでは、「誰も反対の人はいませんね」と言って、案外簡単に審議が通ってしまう可能性だってある。これだけ怒っている国民がいると言うのに、その声が「ほっとけばいいよ」なんて言う無関心によって押し殺されてしまうのは全く持ってゆゆしき事態だ。

「言わなくてもわかるだろ」じゃなくて、分かっていても「あえて言わなくてはならない」ことだってあるのだ。「ワカメちゃんは性的対象にはならない」のはそれを判断した誰それの基準であって、「ワカメちゃんを性の対象」と見ているヤツだって世の中にはいると言うこと。その辺りの事情すら分かっていない一元的なものの見方しか出来ない連中が良いようにのさばっているのが許せないのだ。

これは「表現をする者」にとっても最大に憂慮すべき事態と言える。この「非存在青少年」の法案が通ってしまうと、音楽や美術の世界にまで波及するかも知れないことを心得るべきだ。

「大げさだ」と思うかも知れないが、現に「ソ連」ではそれが起こっていたのだから。周知の史実なので詳しくは避けるが、全ての芸術活動が検閲されていたのがスターリン牛耳るところのソ連邦であったわけで、作家のソルジェニーツィンや作曲家のショスタコーヴィチや演奏家のロストロポーヴィチらが、当局からの妨害を受けていたことはそう遠い昔のことではない。巨匠と呼ばれる映画監督の中にもその被害を受けた者は少なくない。

彼らは「当時のソ連にあって危険」とみなされただけであって、今となってはむしろ当時のソ連体制の欺瞞を暴いた英雄、もしくは「単に飛びぬけて優秀な芸術家たち」であったと評価されている。

あのトルストイですら、日露戦争の頃に「反戦」を唱え、直接彼に被害が及んだわけではないが、彼の周囲の人たちが投獄されるなど間接的な圧力が掛けられていた事実があるのだ。

我々はこう言った事柄から学ぶべきである。「歴史は繰り返す」とはよく言ったものだが、私に言わせればそれは真理ではない。自己流に言わせてもらえば、「歴史は常に同じだった」のだ!有史以来、人類は全く同じことを考え、同じことを再現している。時と場所が違うだけでやることは常に同じ、その「意味や重大さも等しく同じ」と言う意味である。

「ここで歴史が大きく動いたからこの時代の出来事はより重要」と言うことなど全くなく、戦争・革命、あるいは歴史に登場した英雄などはみな等しく同価値であると言うこと。更に言えば、歴史が変動したふり幅の差など関係なく「それが起こったと言う事実」こそが揺り動かしがたい確信であると言える。

「事実の大きさより『それが起こった』と言う事実こそが歴然とそこにある」とは、極めて実存主義的な物言いだが、人間とは常に同じことを、言葉を変えてキャストを変えて場所を変えて反芻して来ただけに過ぎない。ペシミスティックな言い方にはなったが、ここに人間が本当に学ばなければならない本質があるのではないかと思う。

人とは決して「個」ではなくて、「人間」として「複数の個体からなるある種の統合されたひとつの生命体を形成している」とは考えられないだろうか。広い宇宙の視座から見たら、我々がミジンコやバクテリアに見るのと同様に、人間とはある種の決まった行動パターンを有し、ひとつの目的に向かって飽きもせず機械仕掛けの人形のようにいそしんでいるように映るかも知れないからだ。

宇宙人が見たらこのように判定するかも知れない。「こいつらは『本能』に従って生きているだけの『機械的な生物』だ」と!

我々人間には本当の意味での「個性」など存在しないのかもしれない。鏡で自分の姿を見た猿が、「お!向こうにおもしれぇヤツがいるぞ!」と、それが自分の姿だと知らずに鏡の向こうの相手に向かって威嚇しているような・・・。本当の自分の姿を人間自身は分かっていない。だから人間は「猿」だと言えるかも知れない。

話が遠大な方向へ拡大してしまいましたが、自分を「猿」だと気付いた人間だからこそ、「俺たちは本当は『猿』だったんだよ!」と、我々人間の正体を反発覚悟で周囲に伝えなくてはならない責任を感じる今日この頃。

書き出していて、話が倫理的な方向へ大げさに展開してしまったのはご愛嬌ですが。さりとて私自身が「私は世界の全てを知った!」などと尊大な態度に出るわけではありません。むしろ私自身は普段の生活では全く自信を持つことのない卑小な人間であることをここに暴露する次第であります。

とは言え、「猿」は「猿」なりにひとつの結論を出したので、ここらでもう少し、「人間たち、何かを学びませんか?」と私は言いたいのです。

これらの問題に比べたら石原慎太郎なんて全く意味を為さない。「『石原慎太郎』と書いて『無意味』と読む」としたいくらい。こんな情勢では「政治って頭悪くてもできるんだ」って感じてしまうのも無理は無い。

訴える手段は何でもいいと思うんです。特に今ならネットもあるし、忌憚のない意見を述べられる場所はたくさん提供されている。かと言って、ネットがそこまで劇的に世論を動かす力を持っているだなんて幻想は抱いていませんが。それでもそこにわずかでも可能性があるなら賭けてもいいと思う。

無抵抗主義を徹底したトルストイやガンジーらには否定されるだろうけど、最後にはやはりやはり実力行使ってことも考慮すべきでしょう。「ぶん殴りたいヤツがいる」これって結構なモチベーションになるから。

この記事を読んでどう思うかは自由。反論でも崇拝でもなんでもしてください。「何かに気づけ!」とも言わない。

誰かが出した結論になんて興味がないんです。答えは常に自分の中にあるのだから。だから皆さんも自分だけの答えを出してください。いや、出なくてもいいんですけど。

「俺は・私は、こう考えた」と思ったら、その考えをどこかに発表してください。それだけで良いと思う。仮にその意見が極端に過ぎ、「お前は狂人だ!」と蔑まれる覚悟がおありならの話ですが。

でもそれが「自由」。自分の発言や態度、または生活に対して責任を取れる、または取りきれなかったときに自害できる。と言う、「選択の余地を残してある人生」こそが「真の自由」だと思うからです。

私は単にその考えるきっかけを与えたに過ぎない。いや、だけど私の意見が誰かのインスピレーションを喚起したなどと傲慢なことは言いますまい。皆さんが思ったことは私なんかの戯言に左右されたのではない、あなたの毅然とした態度の表れですから。

「これは言わなくちゃならん」と思ったら声に出すべき。今ならわが国に言論統制はない。もちろん身近な知り合いに対し「言わなくて良いこと」なら、言わない方が円滑な人間関係を保つ上での最優先事項となるのでご配慮くださった方がよろしいかとは思います。などと言わなくても分かっていらっしゃるでしょうが。

そんなわけで私の言いたいことは一先ずおしまい。いまは「あえて何か言わなきゃならない」と感じてキーボードを叩いた所存。

大阪ではBL(ボーイズラヴ)を描いたコミックの規制などもあるようです。問題は同じところに端を発しています。

「こいつら何がしたいの?」から、「自分はどうしたいんだ!?」と言うところをよく考えて、これからの日本を生きて行くことにしようではないですか。

人の意見を聞くことは大切だけど、それはグローバルな視点を持つと言うことであって、結局最後は自分の意思はどこにあるかに掛かって来ます。これからは自分と言うものをしっかりと見据えて行動すべきだときだと思います。

念のため断っておきますが、私の言う「人間ってなんだろう」って言うのは、「自分探しの旅」なんて生易しいものではないですからねw

それじゃ、くれぐれも「気をつけて生きる」ようにしましょう、みなさん!


@ちぇっそ@
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タグ : 非実在青少年

2010/04/28 23:08 | 日本を告発するCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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