【企画】がくえんゆーとぴあ まなびストレート!【特集記事】
「がくえんゆーとぴあ まなびストレート!」(以下「まなび」)の1話から最終回までを見て、テーマごとに語り合おうという当企画。ウェブラジオにて配信され、掲示板に書き込んでリアルタイムで参加するものですが、諸事情により予めトラックバックしておこうと思った次第です。
テーマは全体で6つ。前置きは省くとして、早速それぞれについて語って行きたいと思います。
●全体感想
キーワードは3つ。「少子化」「廃校に伴う合併」「学園祭の中止」です。そこへ本作のヒロインである天宮学美が転校してくるところから物語がスタートします。
そう言えば昨今あまり「少子化」を題材にした作品がないような気がしますが、少し前にはよく見られた気がします。よくあるのがハーレム展開を伴ったもので、女子高に男子生徒が入学してくると言ったもの。
少子化を扱った作品に関して、社会問題ではありつつも、誰もがただ生徒だれもが「悲しいね」「理不尽だね」と思うことはあっても、それ以上突き詰めた回答を見せる作品はなかった気がします。
それは「まなび」でも同じで、ただ物語のネタとして格好の題材だったということは挙げられるでしょう。例えば「卒業」と同様に、「終わり」の見えている展開はクライマックスを演出しやすいからです。
しかしその「終わり」のある物語には様々な形があり、それをどう描くかと言ったところに焦点があったと思います。
「合併」に関して言えば、そこに吸収「される側」と「する側」という構図が生まれることで「敵」を描きやすくする効果があったと思います。「まなび」も例に漏れず、相手校の理事長が「良い悪者」を演じてくれることで、物語に感情移入できる作りになっていました。
理事長はヒロインたちに試練を与えることで彼女らの覚悟を試し、そして結果として成長を促す結果となったことは、理事長が決して根っからの悪ではなく、きちんと筋を通す識者であったことを示していたと思います。
「学園祭の中止」はその試練の具体的な形であり、これを成し遂げることがヒロインたちの最終的なゴールとなっていた。これまでの学園は諦めムードで「合併、しょうがないよね」「学園祭の中止、やむをえないね」という倦怠感が蔓延していたと言えます。
しかしそこへ現れた風雲児。それが天宮学美であり、退屈な日常の破壊者として君臨することになる。まあ生徒会長になるので、正に「君臨」と言って差し支えないでしょう(笑)
学美はその破天荒さ行動力でもって学園を変えて行く。そんな彼女に最も感化されたのが、もうひとりのヒロインと言って良い稲森光香でした。最終回において彼女が言いました。「自分はなにもしてない。だた学美ちゃんに引っ張られただけ」であると。
確かにそうだったかも知れません。しかし学美の行動をずっと見ていたのは光香なのですよね。学美に憧れ、自分もそうなりたいと願い、だけど学美があまりに無茶苦茶なので、ときに周囲との調停役に回ったり(笑)だから学美のことだけでなく、状況を一番よく見ていたのが光香であったと言えるでしょう。
ただ学美の存在があまりに圧倒的で、彼女がいたときには自分が前へ出ることが出来なかっただけかも知れない。だからこそ卒業を向かえてそれぞれが旅立つ中で、今度こそ光香が本当に独り立ちする姿が印象的だったのですよね。
アメリカへ行くと言った光香。突拍子もない決意ではありましたが、恐らくそこに理由なんてない。とにかく大きく羽ばたきたいという光香の想いを映し出した夢だったのだと思います。
成長、旅立ち。これが最も上手く描かれていたという点で、光香こそが本当のヒロインであったと確信するに至る。というのが個人的な感想です。
そして学美先導のもと、学園祭が成功する。これがかつて学生であった校長の話とリンクする辺りが、過去と現在を上手く継承していてとても印象深かったです。
校長の学生時代、学生寮が廃止になるという話を受けて生徒たちが抵抗したことがあった。でも校長たちはそれを阻止できなかった。そう言った意味では、過去と現在において「取り戻す」ことを目的とした物語にもなっていたわけです。
大きな流れとしてはこんなところ。細かいところを探って行くなら、学美には兄がおり、その恋人が合併する側の理事長であったと言う、なんだか根の深い因果を感じさせる話がありました。
ただここで疑問に思うことは、理事長になるくらいなら、相当歳が行っていると思うのですが、そうなると学美のお兄さんって一体いくつ?と思うわけです。お兄さんってもしかして年増?そして学美はこのお兄さんの交際について激しく反対する姿勢を見せていたように見えますが、個人的な意見を言わせてもらえば、それ正解!だと思います(笑)
どう考えてもおかしいもんね。学美にはぜひお兄さんが破局するように頑張って欲しいと思いましたが、果たしてどうなったんでしょうね?(笑)
それから印象に残っているのは、EDの映像が「クレイアニメーション」であったこと。古くはヤン・シュヴァンクマイエルや、トリック映像の嚆矢カレル・ゼマン。あるいはロシアアニメーションの巨匠ユーリ・ノルシュテインなどは切り絵などの手法を駆使し、その映像美は宮崎駿にも影響を与えたと言います。
もしかしたらその辺りの古典アニメへのオマージュがあったかも知れません。制作元であるufotableの心意気を示すかの映像は、正に力作だったと感心するばかりです。
そして最後に、予告でも使用され本編にもときどき挿入される「ハンドクラップ」を使ったBGM。あれがなんとも言えぬ情感があったのですよね。話がとんとん拍子のときはポジティブに聴こえ、不安に苛まれるときにはネガティブに聴こえると言う。同じ曲なのに使われる場面によって表情が変わる得意稀なBGMだったと称賛しておきます。
●学校の存在価値とは?(フリーターとの違い)
なかなか重いテーマですね。個人的な意見として、極論を言うなら学校ってそんなに必要ないと思います。本来、社会性を養うなら地域で培って行くのが正しいと思うからです。
学力の向上を目指す目的があることは確かですが、学校でもっとも学ぶのは人との付き合い方のような気がします。しかし昨今ではそれもままならない。SNSの普及に伴って、それこそ隣の席のクラスメートは何する人ぞ?くらいになっているのではないでしょうか。
そんな状態で社会生活だなんだと言ってる場合かと思います。教師たちもそんな生徒を腫物を触るがごとく遠巻きにし、本来なら学校が最も力を入れてしかるべき問題から目を逸らしているの現状において、学校が持つべき意義とは何かを考えるとき、本末転倒と言わざるを得ない事実が浮き彫りにされる気がします。
フリーターでやることの意味は正にそこにあり、それこそ職を転々とし、色んな現場に入って様々やり方を知ることによって得られるのは、多様な価値観だったり、あるいは達観した「諦め」だったりするのかも知れません。
色んな人がいることを知るのは、世界が自分中心に回ってないことを実感する瞬間だと言えます。同じ作業でも違うやり方がある。それを教わるごとに、自分の知っていることが全てではないのだと気づくのです。
だから社会を知るにはまず社会に出るのが手っ取り早いと言えますが、しかしそこでは他人と対等に渡り合わなければならない現実がある。社会では「共通言語」が交わされており、それを学ぶのが「学校」であると言えます。
それは「漢字」であったり、「算数」であったり。普通に「勉強」と呼ばれるもの。音楽の世界で言えば「楽譜」にあたります。それを手っ取り早く水準まで上げてくれるのが学校であり、そのような意味ではとても重要な役割を果たしています。だから「学校」は大事だと訂正しておきます(笑)
「ガンダム鉄血のオルフェンズ」では逆の流れになっており、教養のない子供たちがいきなり「現場」へ放り出される。彼らは「生き方」は知っていようとも、それを説明する術がないのです。それを勉強と言う形でクーデリアから学ぶ流れはだから意味があると言えます。もしくはクーデリアが鉄華団の良き代弁者となってくれるとか、そんな役割に期待するところでしょうか。
さて最後にフリーター宣言をした学美さん。この時点ではまだ分からなかった「9.11」や「リーマンショック」そして「3.11」の悲劇など。就職難が訪れることを知った今となっては、それはだけは止めといた方がいいんじゃない?と言ってあげたかった(笑)まだ「フリーター」が自由の象徴であった良い時代と言えますかね。
●学園祭の歌の感想
いわゆる「校歌」をバンド演奏に乗せてヒロインが歌うわけですが、それ自体は別に問題ないと思います。感動的なクライマックスでした。ただちょうどこの時期に流行っていたメロコアあるいはミクスチャーバンドのようなアクションがミスマッチだったかと思いました(笑)
ギター持って飛び跳ねたりするアレですね。いや、別に元気があってよろしいんですよ?
演奏の作画は京アニほど作り込んでいるわけではありませんが、ツボを心得えた作画でバンドをやっている私にも違和感なく見えました。シンプルで効果的な演出だったと思います。音と動きがきちんと合っていたのはさすがです。
●本作はなぜ売れなかったのか・どこが悪かったのか?
これに関してはなんともと言ったところですが、いわゆる「萌え系」を狙ったにしては作画が立派過ぎたのかも知れません。比較的重めのストーリーと、映像の本気具合が「ちゃんと」し過ぎたのがダメだったのかなぁ?とw
●スタミュと比較してみたら。
これは面白い指摘ですね。確かに2つを比べると似た部分があると言えます。どちらも主人公が停滞した現状の「破壊者」となっている点ですね。それは試練だったり慣例だったり。
行動力抜群の主人公が中心となって、とにかく物語を動かして行くと言う構図。ただこれの理解者をきちんと設置し、主人公の苦悩も描きつつ、キャラクターたちがひとつの目標に向かって志しをひとつにするという流れが大事なんだと思います。
そう言った意味で言うなら、学美はどこまでも「飛び道具」であり、とにかく物語の原動力として種馬のごとく行動していただけと言えなくもないですね(笑)
しかしそんな主人公を理解し、付き添う仲間がいることで前向きなメッセージが生まれる。そう言った意味ではこの2作品はどれも上手く機能していたと思います。
●2007年、同時代の印象に残った作品は?
個人的なことを言うと、ちょうどこの年にハマった深夜アニメがいくつかあり、とても印象的な時期なのですよね。
今でも私の座右のアニメとなっている「クレイモア」。そして色んな意味で話題となった「キスダム」(笑)。それからウェスタン風な世界が渋い「エルカザド」など。とても思い出深いです。
エルカザドのヒロインだった伊藤静さんはこの作品で大好きになりました(笑)
そしてクレイモアは原作もDVDも全部そろえるほどにドはまり(笑)まあ語り出したら止まらないでやめておきますがw、ヒロインのクレア役だった桑島法子さんが、もっと以前にはまった深夜アニメの「ブルージェンダー」のヒロイン・マリーンだったのは偶然で、今ではすっかり桑島ファンになってしまったのはそこに原因があります(笑)
キスダムは・・・誰がなんと言おうとも、稀代の傑作!いや迷作、とんでもアニメの筆頭として私は崇拝してるんですよ?w
キスダムは主人公がずっと「ユアー!」しか言わないし、クレイモアも後半はクレアが「コロス!コロス!」しか言わなくなるので、もうどうにかしてくれ!と思ったのは、今では良い思い出です。
最近ではラキ役の高木元気くんをすっかり見なくなったので寂しいです。
と言ったところで「がくえんゆーとぴあ まなびストレート!」の記事まとめとさせて頂きます。ありがとうございました!
@ムハンホウちぇっそ@

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2016/01/08 17:01 | 今期終了アニメの評価をしてみないかい? | COMMENT(0) | TRACKBACK(0)