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春なので

桜を撮って来ました。
ついでにネコもw

写真は少し加工したのもあり、デフォルトのもあり。

P4020029_2.jpg隅田川沿いの桜なのだ
P4020015_2.jpg車の上に乗っているのだ
P4020014_2.jpg隣の塀に登っているのだ
P4020055_1.jpgなんか桜!って感じ
P4020016_1.jpgずっと寝ているのだ
P4020100_1.jpg夕闇迫る空に映える桜
P4020091_1.jpg夜桜一歩手前くらいの
P4020109_1.jpgもきゅ
P4020118_01.jpgはかないから良い


@ちぇっそ@
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2015/04/02 21:25 | エッセイ的なものCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

進撃の同人

連日暑いですね。先週少し涼しかったのに、今週また酷い熱気。腰が痛くてよく眠れません。寝返り打つとき痛くて目が覚めちゃう。夏バテに腰痛に踏んだり蹴ったりです。

今日はSQジャンプの発売日だったので、地元にある大人の本屋さんで入手しました。ついでに坂井リンゴ著によるオトコの娘コミックスも。

スタンプが溜まっていたので消化することにしました。同人関連グッズにのみ有効なので、進撃の巨人の同人誌を買いました。「進撃の巨根」。早いもの勝ちのタイトルですね。

こう言った同人誌の存在に感化されて、私も自分なりの同人誌を考えてみました。

【以下、アダルティな発言が見られるので、中二病以外の方だけ閲覧するようにしてください。】

続きを読む »

2013/09/04 21:19 | エッセイ的なものCOMMENT(3)TRACKBACK(0)  

ひとつの記憶として

母の弟、私にとっての叔父さんが亡くなった。脳梗塞、64歳だった。

生前の生活を知っている身としては、無理もないと思うところもある。大変な大酒飲みで、毎晩のようにスナックを渡り歩いていたのだから。

高校を卒業した私が上京し、そのとき居候させてくれたのがこの叔父さんだった。成増のアパート。

ひょうきんな叔父さんでいつも私を気遣ってくれた。とは言っても、「お前も今夜飲みに行くか?」と酒の誘いが多かったのだけれど。

叔父さんのペースに合わせて毎晩飲みに行っていたらこちらが持たない。着いて行くのはせいぜい1週間に一度くらいだった。

週末に行き着けのスナックに行き、そのまま潰れて朝まで上の部屋で寝かせてもらったことなど数知れない。

青森出身のママで、恰幅の良い肝っ玉母さんと言った風情。ママの飼っているマルチーズが目覚まし時計代わり。わんわんきゃんきゃん言いながら身体の上に飛び乗って来て、顔を執拗にぺろぺろ舐めまわすのだ。

従業員は全員フィリピン人で、唯一の男性であるマスターはファイヤーダンスが得意だった。浅黒い肌に炎を這わせ踊り狂う。ママに言葉を習ったせいかオネエ言葉になっている。だが料理の腕前は確かなもので、アパートに来て料理を作ってもらったこともあった。

フロアのお姉ちゃんたちは私にはあまり興味がないようだった。金払いの良い客が好みのようで、まだ稼ぎのない学生なぞ眼中にないと言うことだろう。こちらも彼女らのルックスが趣味ではなかったため、飯が食える以外は退屈にしていたことも原因のひとつか。

そのような生活だから家にはあまり寄り付かず、ほとんど一人暮らしのような状況であった。しかし叔父さんがいると言う安心感があったからか、ホームシックなどと言うものとはほとんど無縁で都会に馴染むことが出来たのだと思う。

内装業の会社に勤めており、力が強く身体も頑強だった。火葬の際にも骨が焼け残り、骨壷に収まるように火葬場の職員が体重を掛けて砕いたそうだ。

家のことには無頓着で、いやそんなことはなかったかも知れない。私がいたから気を遣ってあまり帰宅しないようにしていたのでは? と後になってから思ったが、真実はどうだったか今では知ることはない。

家のことにあまり関わらないから、金は稼いでいるけど振込みを忘れて、ガスと水道が止まったことがそれぞれ1回づつあった。その度に私が高島平の銀行まで立て替えに行ったっけ。

当時の奥さんとは別居していた。それから離婚したが。息子たちとは仲がよく、アパートへ遊びに来た彼らと何度か会ったことがある。叔父さん動揺に気さくな性格の連中だった。

いつだったか裁判所への出頭命令が投函されていた。そのときは何故こんな通知がと思ったものの、後になって判明する。

叔父さんが引き起こした最大の事件は、助手席が大破するほどの大事故だ。

その夜も叔父さんと私は、2人して馴染みのスナックで深夜2時まで飲んでおり、それから帰って寝た。

叔父さんは仕事があったので明け方4時に出勤(!)。私は全く気づかずそのまま寝ていた。

すると朝7時ごろに志村警察署から電話があった。

「叔父さんが事故起こしちゃってね。君が保証人になってるから来てくれないか。そうしないと叔父さん免停中だから、即交通刑務所行きになっちゃうよ」

これは大変だと思ったが、当時の人生経験のない私はすっかり途方に暮れてしまった。どうやって行けばいいんだ?

そんな折、馴染みのスナックのママがやって来た。アパートは1階にあるので、窓を「コンコン」と叩かれた。

ドアを開けてみると、ファイヤーダンスのマスターも一緒だ。3人で一路、警察署へと向かった。

道中でママから事故の状況を聞かされる。

停車中のダンプに追突し、助手席は大破。車はそのまま横転して3回ほど回ったところで止まったそう。しかもシートベルトは締めていない。

これは即死レベルだなと思ったものの、警察署へ呼ばれたのだから一命は取り留めているらしいことが伺える。いや、しかし本当に生きているのか。実際に会うまでは絶望的な思いしかしなかった。

ところが警察署の玄関をくぐった瞬間だった。背後から「よお!」と声を掛けて来る人物がある。

振り向くとそこに叔父さんが立っているではないか!

ちゃんと2本の足で歩いてくる。ちょうどトイレから出て来たところだったのだ。

確かに全身血にまみれているが、これはかすり傷だと言う。致命的な箇所は全く無傷。警察の話でも「シートベルトをしてたら逆に死んでたかもね」と言われ、正に奇跡的の生還劇。

内緒の話をここでしてしまうのもはばかられるが、本人不在の今となってはもう時効だろう。

ここで口裏をあわせる。深酒のことは伏せ、前夜は「2人で焼酎1杯づつ飲んだ」ことにしておいた。幸い叔父さんはアルコール探知機に出にくい体質なのも奏功した。

この「良い嘘」のお陰でお役御免となり、無事全員帰宅することが出来た。高校卒業したてのまだうぶな私は相当に冷や汗をかかされたが。

ここで裁判所への出頭命令の意味が分かった。免停中なのに車に乗って、たまに違反してたりなどがあったらしい。そんなことを全く知らなかったので、後から末恐ろしくなったことは言うまでもない。そんな最中にも何度も送り迎えしてもらっていたから。

まあそんなことをしてもなんとなく憎めないところがある。それはこの叔父さんの人徳と言うものか。あまりほめられたものじゃないが、しかしバンドをやりに上京して来た私なんかよりよっぽどロケンローな生き様をしてるじゃないか。

とは言え、そんなお情けが何度も通じるわけがない。それから間もなくして、再び事故を起こしてしまった叔父さんは、今度は有無を言わさず交通刑務所へとぶち込まれてしまった。

私もアパートにはいられなくなり(家賃も高かったし)、そこは即退去することとなった。事情を知らない私のところへ、いきなりお袋や親類が押しかけて来てその事が分かったのだ。

事実はいつも突然やって来る。

こんな風だから、まさかこんな早くに亡くなってしまうとは思ってもみなかった。叩いても死なない男。そんな言葉がこれほど当てはまる人物も他にいなかった。

先月くらいから身体に変調をきたしたが、しかし医者の話ではじきに良くなると言う話だった。それが急変したのは間もなくだった。

死が突如として叔父さんを飲み込んでしまった。そんな印象すら受けてしまう。

長患いをせず、生前の元気な姿だけをみんなの記憶のとどめたまま一気に旅立ってしまうとは、いかにも叔父さんらしくはある。

実は身内でも叔父さんの破天荒な生活を身をもって体験している人は少ない。私はたまたま一緒に暮らす機会があったから、その貴重な時期を知っている。

実家を離れて暮らしていた叔父さんには親密な知人の類が少ない。この度の葬儀にもごく限られた人数しか参列していない。

しかし寂しいのはそこじゃない。叔父さんがいなくなってしまったことが寂しいのだ。

遺影をまともに見ていられない。最初の焼香の後、こらえきれずに涙を落としてしまった。

ほとんど嗚咽するほどに肩を震わせてしまった。

今回のことは本当に悲しいのだ。

それでも葬式に来られて良かった。自分がいなければいけない気がしたからだ。

叔父さんと一緒に過ごした日々はとっても面白かった。今でも語り草にさせてもらっているエピソードがたくさんある。

思い出してしまうのでしばらくは話せなくなるかも知れないけど、これらの思い出は今でも鮮明な記憶として残っている。なのでまたいつか話の種にさせてもらおう。

追悼の意味を込め、このようにして私が覚えている事柄を綴っておく。

叔父さんありがとう。安らかに眠ってください。


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2011/11/13 01:51 | エッセイ的なものCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

新潟 ~帰省 オマケ話~

例によってお酒の話になるんですけどね(笑)

「ぽんしゅ館」の話です。

ここには利用者だけが利用できる「利き塩」のコーナーもあり、奥に何十種類もの「塩」が置かれています。

利き酒をしながら、つまみに塩をぺろっと舐める。粋だねぇ、なんて思いながら結構な種類の塩を舐めて来ました。

だけどちょっと名前までは覚えてない(笑)

正統派のヤツから、変り種では抹茶とか梅とか、色つきの塩があったりして。

一番のお気に入りは、「真っ黒いじゃなイカ?」みたいな名前のイカ墨か木炭か分かりませんけど、黒い塩でした!

もちろんその名前にもってイカれたに決まってるじゃありませんか!正式名称は実は忘れてしまったのですが、確かに「イカ」の部分がカタカナで、最後に「?」が入っているのは間違いないです。きっと登録商標ですよ。

ほんっとにもう「イカ娘」かわいいよイカ娘!(イカじゃなくて塩!

それから「シベリヤの塩」も舐めましたよ。

マンモスの汗の味がしました(マンモス舐めたことあるんだろうなホントだろうな!

味噌もあったので舐めました。味噌でした。

そしてお土産物売り場でたくさんつまみ食いして来ました。

特に「しょうが焼き」が美味しかったです。

酔っ払ってつまみつまんで、すっかり満足してしまいお土産にはつまみ買ってません(笑)

まあそんなもんですよね。

実家に寄らなくていいから、また越後湯沢駅まで行ってとんぼ帰りして来たいね。

ネズミーランドへ行くくらいならみんなで湯沢行こうぜ!

「味のホーンテッドマンションや!」(例え悪ぅ


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2011/01/04 19:56 | エッセイ的なものCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

新潟 ~帰省 3日目~

朝から少し雪がちらついている。

晴れていれば「白銀」だが、ひとたび曇れば「灰色」の世界に閉ざされるのが雪国だ。

今日、千葉へ戻る。

今日から仕事始めのお袋の店へと同行する。個人経営の美容師だから、時間はアバウトでいい。

9時に店に着く。この時期なら、駐車場の雪かきをしてからでないと車を乗り入れることが出来ないのだが、今年は雪が少なくすんなり駐車出来てしまう。

山間部ですら30センチ積っているかどうか。平野部では20センチもあるかどうか。

この塩沢で積雪20センチは「雪」とは言わない。

塩沢駅から10時半の電車を目指す。時間になったので店を出る。裏道から雪を踏みしめて行くと近道になる。

駅のホームで佇む。雪はすっかり止んでいる。

灰色の世界をなんの感慨もなく眺める。ホームから臨むのは関越道の高架橋。無風で遠くの車の音がよく聞こえる。

道路がなければ、聞こえてくるのは排水溝の水音だけ。

都会は確かに派手だが無味乾燥だ。田舎の色のなさには、ぞっとする。

越後湯沢の駅で乗り換える。12時2分発MAXとき。

当然、座れないとは思っていた。ドアの閉まる直前ぎりぎりに乗り込むことが出来た。

着替えで膨らんだバッグを肩に、手土産を床に置いてドアにもたれる。遠藤周作の本を開く。

1時間12分の乗車。上野で降車する。汗ばんだ身体に外気の冷たさが心地よく感じる。やっと解放された。

東京へ着いた途端、自分自身が「臭う」ことに気が付く。「臭い」と言うのは少し違う、何か「臭う」のだ。

と言うよりそれは、都会の人たちが無臭だからそう感じるだけなのだろうか。

そこではたと気が付く。

都会では決して洗練されるわけではなく、ただ単に「臭い」を失うだけなのだと。

濾過、無菌化され大衆の中へ塗り込められるだけなのだ。全てが平均化され、なんでも中庸になる。これすなわち極めて仏教的な傾向と言えるが、そうであったら何故未だ畏れ多い田舎暮らしの方が個性的でないと言えるだろうか。

仏教が個性を排斥するとしたら、田舎はあまりに色彩豊かだ。

それとも資本主義が暗いだけか?

仏教が資本主義化したせいなのか、資本主義が日本的に教化されているのか。

今更の問答だし、今更どうでも良いことだが。

さて帰りにも「ぽんしゅ館」で利き酒、及び販売所での試飲を敢行して来た。その感想をば。

「尾畑酒蔵・鶴の舞」、「渡辺酒蔵・根知男山」は共に辛口。弱冠まったりもしており、まあまあと言ったところ。

「越後秀山 巻機」典型的な新潟まったり系。熱燗向きかな。

「関原酒蔵・群亀」すっきりだが甘くておもしろい味だった。不思議な個性がある。

「高の井酒蔵・田友」目が覚めるほどに淡麗。旨い。

試飲。

「冬季限定・寒中梅」すっきり辛口。なかなかいける。

「長者盛・原酒」がっつり濃厚。飲み疲れしそうだけど(笑)

そしてお土産には、数年前に買って帰ったことがある「郷越後」をチョイス。純米吟醸ですっきりだけど飲み応えあって大変旨いのだ。

おちょことは言え、午前中に何杯も飲むと結構酔いが回る。

ぐい飲みも購入。もっさり不恰好なやつがどうにも可愛くて。

ぐいのみ

写真で見るとそうでもないが結構デブ

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2011/01/04 18:57 | エッセイ的なものCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

新潟 ~帰省 2日目~

田舎へ来るといつも食わせられる。

とは言え、正月前に作り置きした煮物や漬物ばかりになるのだが。しかしそれが箸を付け始めると止まらなくなるから不思議だ。ワラビだかゼンマイだか、とにかくそれだけで3食飽きないくらいだ。

雑煮も定番の大根やごぼう、それに少し魚か何か入っているだけ。都会暮らしでどれほどオーガニックに飢えているかの象徴かも知れない。

昨夜も食べ過ぎた。膨れた腹をなんとかするには排泄しかない。繊維ばかりの山の食べ物だけに通じはよかった。

今日は朝から年始参りだ。

朝7時過ぎに起き、お袋と一緒にお寺を回る。

樺野沢(かばのさわ)にある寺へ。檀家なのにまこと不義理の限りだが、寺の名前をいつも忘れる。

実は、普段なら元日に赴くところ、今年はお袋が民宿の手伝いに入っていたため3日の今日になった。それでせっかくだからと俺も同行することにしたのだ。「こう言うのがあるから覚えておけ」とはお袋の弁だったが。

本尊にお参り。人の家に泊まりに来ていた体だったので財布をもっておらず、またお袋ものし袋に収めた奉納金とでも言うのだろうか、寺に納める分しか持ち合わせがなく賽銭箱に入れる小銭がなかった。

まあどうせ金は渡すのだからいいだろう。

寺の住職としばし歓談す。話によれば賽銭どころか、その奉納金を忘れた人がいると言う。

「確かに懐へ入れて来たがぁどもに・・・」と言う話になったが、「まあ近所だすけ、いづれそのうちに・・・」とまあ、悠長なやり取り。人間ってそんなもんでいいと思う。

この寺の息子は俺と同級生だ。今は立派な跡取りになっていて、数年前の法事ではお経を唱えてもらったはずだ。

これから出かけると言う彼も顔を出し、久しぶりの再会を果たす。小柄で、現職の和尚ほどにはまだまだ恰幅も出てないのだが、住職ともなるとさすがに貫禄がある。同級生なのに思わず改まってしまう。

そこをおいとますると、今度は大沢(おおさわ)にある別の寺へ。

そこはまったく普通の住居の中に本殿があり、まさかここがお寺だったとは、子供時代には夢にも思っていなかった(!)

同様にお参りし、お茶を頂きながらの談話。新年の豊穣を祈って退出する。

こうした儀式めいたまつりごと。心身の改められる想いがする。

お袋はまた民宿の手伝いに「白銀荘」へと出かけ、早い起床で疲弊した俺はまた布団の中へ。

11時過ぎに起きたがまだお袋は帰って来ていない。

「掃除だけだから昼ごろには戻る」と言う話だったが、それが全館だったので結局夕方まで帰って来なかったのだ。

勝手に昼飯を食って、妹の子供たちを相手に・・・、適当にあしらいながら相手にして過ごす。

3時前になると、妹の旦那が起き出して来た。パチンコ店勤務。シフトで今日は夕方出勤なのだ。

初めて会った。

都内の出だが、2年ほど前から田舎へ越してきて、いまはお袋たちと同居している。今回是非、顔だけは拝んでおきたいと思っていた相手だ。

長身痩躯。伸ばし方は違うが、髪は俺と同じくらいでちょっと長め。ロックなファッションに身を包んだ優男。と言うか、当世流に言えば結構なイケメンか。高い鼻筋が印象的だ。

本人には否定されるかも知れないが、自分と共通するような部分があり、それが逆になんとなく気恥ずかしい。

初対面の挨拶は交わすが、その後とくに会話はなし。微妙な空気が流れるが、俺は俺でこの家の長男でもあるからうろたえてはいけない。

出勤前にまた2、3言交わした。浅い話題だけ。

なるほど、ね。

夕方、お袋が帰って来る。夜はカツ丼。

カツは惣菜。たまねぎ、卵でとじる。べたっとした家庭のカツ丼だが、これでそんじょそこらの定食屋で出されるのより美味かった。


@ちぇっそ@
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2011/01/03 23:59 | エッセイ的なものCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

新潟 ~帰省 1日目~

このところのすったもんだのせいで、特に心機一転しようなどと言う目論みがあったわけでもないのだが、結局田舎へ顔を出すことに決めた今年の正月明け。

元日、2日と、お袋が民宿の手伝いに借り出されると言うので、休みがもらえる3日に合わせて、2日の夜に実家へ到着するよう出発する。

昼間のうち、この帰省中に読んでおくための文庫などを買いに出る。遠藤周作でも読んでみようか。

手っ取り早く、古本で落ちていた「白い人 黄色い人」と言う作品をチョイス。

冬に田舎へ帰るのは何年ぶりだろうか。10年ぶりかも知れないが、雪化粧した故郷の記憶は昨日のことのようにはっきりしているので、まるで久しぶりな感じがしない。心の中ではいつでも日常なのだな。

午後3時12分東京発ときMAXの2階席に乗り込む。帰省ラッシュは完全に過ぎているので、自由席ならどこでも座りたい放題だ。

夕暮れが近づいていた。山腹に沈む太陽のところだけをちょうど雲が覆い隠しており、そこから漏れる日差しが神々しく金色に光っている。

早速ページを開いた遠藤周作のキリシタン臭い小説と妙なマッチングをする。ベタ過ぎてつまらないな。

土地開発の進んだ地域をひた走る車両。どこまで行っても区画整理の行き届いた住宅街。

あそこの土地でも、こちらの地所でもクレーンが幅を利かせている。

大方、大型マーケットでも参入するのだろう。昔から地元に根ざしている商店街などそっちのけ。こうして地域からは特色が失われて行く。どこまで行ってもつまらない風景は大宮辺りまで続く。

しかしそのつまらない風景から何故か目を逸らすことが出来ない。俺はここに長く住み、ここで暮らして行くしかないのだから。つまらないからと言って、目をつぶっていては生活が出来ないからだ。

ああ、なんてつまらない人生なんだろう。

田舎へ着く頃にはすっかり夕闇が落ちていることだろう。久方ぶりの田舎の風景を楽しみたいなどと言った感慨もなく、どの道、大清水トンネルに入ってしまえば昼間でも景色など眺められないのだから、真っ暗闇とて変わりがない。

越後湯沢へ到着。在来線に乗り換えなのだが、わざと一本ずらして(1時間遅れることになるが)、お土産屋が軒を連ねる奥の奥、「ぽんしゅ館」へと足を向ける。その店名からお察しの通り、新潟の地酒ばかりを勢ぞろいさせた、呑んべえにとっての夢の宮殿である。

駆けつけ3杯じゃないが、500円を出せばおちょこに5杯分の利き酒が出来る。田舎へ来るたびに気になっていたのだが、実は挑戦するのは今回が初めて。ほとんど遊園地へ連れて来られた子供の気分でのれんをくぐる。

500円を払うとメダルを渡され、それを各酒(正に各種・各酒だ!)注ぎ口脇にあるコイン投入口へと入れ、おちょこをセットしてボタンを押すと、ほどよい具合に冷やした冷酒が注がれると言う寸法。さて何を飲もうか。

今回は5酒を試した。新潟県民である俺が感じた率直な印象を記して行こう。いわゆる特定名称は覚えている範囲でのみ記しておく。基本は銘柄のみ。

先ずは「越後府」すっきり辛口だが少し物足りない気がする。鍋には合いそう。

「鶴齢・純米吟醸」すっきり咽喉越しが良いがしっかりした飲み応えがある。これはイチオシで気にいった。例えば「獺祭」なんかに余裕で匹敵すると思うのだがいかがだろうか。

「鶴亀」新潟まったり系の典型。好きではない。

「長陵」これも同様に新潟まったり系。いまいち。

「能鷹」先の2酒よりは辛口になるが、新潟まったり系はやはり好きになれない。

とここで、私が「新潟まったり系」と言っているのを解説しよう。

あくまで個人的な印象なのだが、すばり「八海山」や「越乃寒梅」を指しており、<田舎を思い起こさせるから懐かしい味なのだが、同時に垢抜けない味でやっぱり好きにはなれない>味のことを差す。

「八海山」や「越乃寒梅」はいわゆる「麹」を味わう酒なのではないかと思う。このいささか、かび臭いと言うかすえた麹の臭いを楽しむ、と。つまるところ年季の入ったワインをたしなむ要領で味わう必要があるのかも知れない。

しかしその点が、私を含め地元民の多くからはあまり好かれない理由になっているかも知れない。決して「高いから」ではなく、単純にあまり美味しいとは思えないのだ。

ちなみに地元では「鶴齢」の2級酒の方が旨い!と言うのがもっぱらの定説である(本当に旨い)。

しかしまあ確かに「新潟らしさ」はこれらが体現しているので、県外でもてはやされることに悪い気はしていないのだが、歯がゆい思いのあることは否めない。もっと旨い酒が新潟にはある!と主張したいところではある。

ただ念のためエクスキューズを入れておくと、「新潟まったり系」は熱燗が合うのではないかと思う。「こんな貴重な酒を熱燗なんて不届きな!」とお叱りの声を頂くやも知れぬが、香りの高い酒はむしろ熱燗には向いてない気がする。「八海山」や「越乃寒梅」は熱燗でいきたい。

隣りの販売所でまた試飲。今度は4酒ほど。

「初梅」清酒。とにかくすっきり。悪くない。

「初梅」同じく初梅だがこちらは大吟醸。芳醇になりちょっとまったり。悪くはないが値段が倍に跳ね上がるので購入には躊躇する。

「蔵開き」原酒。すっきりだが飲み応えあり。このインパクトにやられて購入することにしたが、度数が高めで甘ったるいので杯を進めると飲み飽きてくる。ウチのお袋は飲み飽きなかった。女性向きか。充分に冷やしてからどうぞ。

それから銘柄は忘れたが、にごり酒も頂いた。すっきり味。

さて、時間が来たので在来線の切符を買う。

時間までに出店で焼きたての鶏もも串を1本ほおばる。朝にモスバーガーで直火塩バターチキンバーガーを食べたきりだった。

上越国際スキー場前で下車すると、お袋が車で迎えに来てくれていた。ここから歩いても15分程度なのだが。

駅舎すらない粗末なホームだけの駅。実家にいた頃にはなかった駅で、今回初めて下車した。はじめてづくしだな。

なんて簡単な駅なんだと呆気に取られた。

実家に帰り着くと、早速一番したの妹の子供に懐かれる。

去年、その下に妹が生まれており、親から疎外されている様子で人恋しいらしい。

これまた難しい年頃だ。まあ田舎にいたって何をするってこともない。何かするべきことがあるなら、こいつを相手にしていた方が気が紛れるだろう。

この俺を、せいぜい親の寵愛を得られぬことのはけ口にでもしてくれればいい。


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2011/01/02 23:59 | エッセイ的なものCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

新曲の歌詞

「アウトサイダー」

あの頃の俺はダメだった
この頃の俺はダメだった
近頃の俺はダメなんだ
五年後の俺はダメだろう
くらいくらいくらいくらいくらいくらいくらいよ
つらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいよ

遊んでる俺はガキだった
転んでる俺は泣き出した
血が出てる俺は赤だった
あの頃に俺は戻りたかった
ぶらりぶらりぶらりぶらりぶらりぶらりぶらりと
ゆらりゆらりゆらりゆらりゆらりゆらりゆらりと

ななななななななななななななななななな
ななななななななななななななななななな
ななななななななななななななななななな
ななななななななななななななななななな

コリンが言うよ コリンが言うよ
それは非存在非存在非存在!
コリンが言うよ コリンが言うよ
それは非存在非存在イッツアノースタイル!

アウトサイド アウトサイド
インサイド アウト!

インサイド アウトサイド
インサイド アウト!


生かしてる俺は誰なんだ
殺してる俺はだけだった
愛してる俺はバカだった
感じてる俺は感じてないよ!
アインツバイアインツバイアイアイ愛を
ダイダダイダダイダダイダダイダイ痛いよ!

ななななななななななななななななななな
ななななななななななななななななななな
ななななななななななななななななななな
ななななななななななななななななななな

コリンが言うよ コリンが言うよ
それは非存在非存在非存在!
コリンがいるよ コリンがいるよ
俺はウィルソン 俺はウィルソン!

アウトサイド アウトサイド
インサイド アウト!

インサイド アウトサイド
インサイド アウト!


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2010/07/16 23:54 | エッセイ的なものCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

エアコンを点けたが一向に涼しくならないので表示を見たら暖房になってた件

これはまあよくあること。

そしてシャワーを浴びる前に洗濯物を突っ込んで全自動のスイッチを押したけど風呂から出てみたら床に一枚洗濯物が落ちていて既に全自動はすすぎに入ってしまっていてどっちらけだったなんてこともよくある。

しかもそれが今日一番洗っておきたかったシャツだったってこともよくある!

もういいや今日はこれ洗わん。

今日の敗因は何かと考えてみたところ、いや今朝は出勤したら私のあずかり知らぬところで既に社員同士が何かでヒートアップしていた以外は、自分の業務は至って順調、薄着のお姉さんのヒップラインにぞっこんで、それほど悪い日でもなかったむしろ勝者!と思っていたのだけれど。

連日の残業続き、そして数日に渡る熱暑も手伝って疲れがだいぶ溜まっていた。

このところやっと仕事も落ち着いてきて、昨日など久しぶりに定時で帰って早めに寝ようとしたのだったが。

寝入り際に見た夢のせいで夢精をしてしまった。

見た夢の内容は定かでないが、たしか念願のショタを部屋に連れ込み一物も露になった君にちょっとそこの窓際に立ってみろ勃ったままでな!とかなんとか命じていたところで目が覚めたような。

何故、タチ(攻め)だったはずの私がイって目が覚める?と言う疑問は残るが、夢と言うものは、・・・もとい。夢精の夢と言うものは総じてそんなもんである。

いや、そんな夢などではなかったと思うがこれは私がそうでありたい!と願う妄想の一環が起床後に作り上げた捏造のひとこまであったかも知れぬ。

夢精をしない人からはさぞ羨まれることだろうが、夢精の当時者にとってはこの体質はときに恨めしい。

せっかくの安眠を妨げられやれシャワーだやれパンツ洗えだの事後処理のわずらわしいことこの上ない。

そこでだ是非閲覧者諸君にもこの些事を分かち合ってもらおうと、私なりに夢精のポイントをレクチャーしてみようと思う。ただしこれで正しいかどうかは保証の限りではないのであしからず。

恐らく、夢精をしたことのない人ってのはトランクス派なのではないだろうか。私は幼少よりブリーフを穿かされて育ったために、どうにもトランクスと言うのはパンツクリアランス(カーブの内側になった自転車のペダルと地面との間隔をロードクリアランスと言う@つまりは生地とチヌコの間に生じる隙間をちぇっそ流の専門用語としてみた)が大きすぎて落ち着かない。

しかし昨今では成人男性の白ブリーフはNGパンツとして蔑まされ(ショタが穿いていたならむしろ萌える!)、もてない男になりたくない私は現在ではボクサーブリーフ派となっている。

尚、バリエーションとしてトランクスとブリーフを重ね着して、ブリーフスとか、トライアンフとして着まわすことも可能だ。(なんか違ってきてる)

夢精はあくまで手放し運転で行われる神業なのだが、多少の擦れによって快感が生じ、その肉体的な刺激が脳に伝達されることによって、それに付随するえっちぃ記憶が呼び覚まされヘルダーリンの夢ならぬ、ドリーム・フェアリー・ドリーム(夢精夢)が引き起こされることは十分に予想出来ることだ。

夢精はファンタジーである。そしてそれはとても無垢で真正なるもの、あ、もとい。神聖なるものなのだ。

そりゃまあいいや。

つまりはこのトランクスの摩擦係数の少なさが、超伝導状態を生んでしまうことが夢精を拒むひとつの要因。少しくらいは擦れていいので、試しにボクサーブリーフを穿いてみることをお勧めする。

なんならビキニパンツでもいいだろう。俺ホモじゃねぇよと思うところだろうが、どうせ多分この一回くらいしかここでは買い物しないだろうって言うちょっと遠くのデパートで買ってくればいいさ。

次に大切なのはたゆまぬ妄想であることは言うまでもない。日ごろより常に妄想に励むこと。別に陵辱である必要はない。あなたにとって最高のシチュエーションで最高の女を思い浮かべ(人によっては男でも可)、そして愛し尽くせ!

相手を喜ばし、そしてそれを自分の喜びへと昇華させる。この妄想力こそが夢精を実現させる最大限のファクターだ!

しかしこれが一番難しいところでもある。射精をすることがエッチやオヌニーでの最終目的だと考えているようでは、このたゆまぬ妄想力を持続することができないのだ。射精しなきゃエッチの意味がない!と思っているようでは、あなたの妄想はまだまだ若いと言わざると得ない。

「気分的にどれだけ満足できたか」が重要であって、「射精=満足」では底の浅い快感しか呼び起こすことが出来ない。

これがどの程度のレベルなのかは数値で測ることは出来ないかも知れない。だがしかし、夢精上級者である私の経験から言えば、男同士でえっち話をしているのにどん引きされることがある!このくらい強烈でないとダメだと思った方がいい。(どうだこの記事で既に多くの読者諸氏はどん引きされていることだろう!しかし現場はこんなもんじゃないぞ

これがデフォルト。以下は各自で工夫されたし。これにはセオリーが存在しないのだから。

さて、せっかく溜めた精子を週半ばで射出してしまい、すっかり性欲が減退したかと思ったら大間違い。夢精は無意識下で行われるため、そして何より射精だけでは欲求解消とはならないため、これはノーカウント!「私の中の山本小鉄」がそう判定するのです。(ただしスリーカウント入ったらだめ

だから今週末は美祢藤コウの流出でも見ながら、・・・見ながらかわいいなぁとだけ。(ほんとかオイ

有意義なひとときを過ごしたいと思います。

それではチャオ!


@ちぇっそ@
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2010/07/08 22:14 | エッセイ的なものCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

レッド・オレッペリン

朝のニュースで「雨とか降るかも」(そんな軽いノリの天気予報があるか)と言っていたので、折りたたみ傘を持ち出そうと思ったていたのだけれど「出かけるぞ!」と立ち上がった瞬間に忘れてしまい、仕事の帰りは見事雨に降られてしまいました。

記憶がブラストビートの1打と1打の間くらいしか続かない(ショートカットなんだな

その仕事帰り、西船橋の駅でDxIxEx(ダャイ)やCxPxSx他のドラムであるY野氏にばったり。

「おぅ!」、「おうっ!?」と挨拶までショートカットで、私が降りる駅までしゃべりながら帰りました。

機材を抱えた氏は、これから小岩でライヴライヴだそう。今日は見に行かないけどがんばってね。

市川/浦安グラインドなひととき。


話題変わって。


最近やっと「天国への階段」の歌いかたが分かって来ました。ご存知のその通り、レッド・ツェッペリンによる名曲中の名曲ですね。

実はレコードやCDのように、ロバート・プラントみたくねちっこいハイトーンで歌おうとするとしょぼくなっちゃうんです。

ではどうすれば良いかと言うと、ロバート・プラントは無視して、まったく正反対の歌いかたを目指すのが正解です。

人によって違うとは思うのですが、私の場合なら、秋山雅史のようなオペラチックなテノールで歌うと上手く行くのです。ってか、行ったのです。

まず「声が出る」ことが重要で、だから決してマネなどできない(そっくりさんを目指すなら別だが)プラントの歌唱法をなぞろうとするよりも、自分の歌いやすい声帯域を駆使した方が良い。もっともどうしてもプラントの声のイメージが強すぎて、自分のフィールドへ持って来るまでが難しくはあるのですが。

そこら辺は個人で工夫すれば良いと思います。例えば「岡本真夜の曲をジョン・ウェットン風に歌ってみる」とか(これは実際私が得意とする)

こうやって既成概念を壊してみることが大事。ひとつの曲をいろんな人のイメージで歌ってみると、新たな発見が見つかると思いますよ。

しかしこうして秋山雅史のように歌ってみた私は、ここで驚くべき事実に直面しました。

むしろ秋山雅史風に歌った方が「ロバート・プラント風に聞こえる」ではありませんか!(自分の中の範囲でな

そもそも意外と声が出て、歌っていて「楽しい」のです。それまでツェッペリンの曲って歌っててあまり楽しくなかった。これはもちろんプラントの歌い方があまりに独特なので声を出すのが辛かったためです。

今まで楽しかったのは「ベイビー・アイム・ゴナ・リーヴユー」とか、「シンス・アイヴ・ビーン・ラヴィング・ユー」とか「オールマイ・ラヴ」とかぐらい(バラードかブルースしかねぇじゃん

それはともかく。

何故、ツェッペリンらしくない歌い方をして、尚ツェッペリンぽくなるのか?このことを私なりに分析してみました。

その結論は、「ヴォーカルメロディ、そして歌詞のリズムが既に『天国への階段』であるから」ではないかと!

つまりは、「メロディ」「グルーヴ」「歌詞」の全てがどれも分離することなく完全に結びついて「完成されている」からこそ、例え歌う人(声)が違ってたとしても曲の世界観を壊すことなく、曲の世界を再現できるのではないかと思うのです。

言い方を変えれば、「シェイクスピアはボリショイ劇場がやっても、どっかの学芸会でやっても、何をどうやったってシェイクスピアになるんだよ!」くらいな乱暴な理屈ですけど。

自分の持ち味を出したとしても、歌詞のリズムがもはや「天国への階段」にしかならないようになっているんだと思います。有無を言わさず。

これって理想的じゃないですか。ここで改めてジミー・ペイジってスゲェな!と実感することになるかと。

ロバート・プラントのカリスマ性も凄いんだけど、それを完全にコントロールして「自分の世界」を作り上げていたのは、実はジミーだったと言えないでしょうか。

ツェッペリンを聴いてもう20年近くになるけど、今やっと気がついた。

音楽はやっぱ「続ける」もんだよね。演奏し続ける、または聴き続けることが大切なんだと思いました。

何十年も聴いてきた音楽にもう発見なんてないと思ってたけどびびった!


【既成概念を壊すんだ!】

(日本語になるとリズムが違っちゃうけどね)


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2010/05/19 20:01 | エッセイ的なものCOMMENT(0)TRACKBACK(0)  

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